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1995年1月17日 PARTⅡ

コーチブログ
担当コーチ
小林 富士

地震後、毎日全壊した家の片付けに追われ、入浴もできない状態での避難所生活が続き、かなり疲労の溜まった母を伴い、当時千葉に居た姉のところへ療養に行きました。

その時、アルゼンチンで生活している親戚が毎年この時期に帰国していて、”東京で外務省の人と食事をするから来ない?” と誘われ、ランチに同席させてもらいました。

とても気さくな女性で、私がとても元気なのを気に入ってくださり、その場で ” 地震で神戸のお家潰れたんでしょ?良かったら、外務省で非常勤職員として働かない?”

と誘われ、外務省本省に面接を受けに連れていかれたのです。

省内でも忙しい経済局、そして文書の多い課としても省内屈指という経済局国際機関第二課、内情を知るのは後々のことです。

ここで、簡単な面接を受けた私。またしても、” 元気がいいねぇ。文書をもって、省内を走り回ってもらうのには体力第一だからね。” と体育会系大歓迎の告知を受けたのです。

” 人手不足だから、3月1日から来てくれるかな?” と、その場で採用決定? ” 住む所も必要ですので、姉夫婦の許可をもらってお返事します。” と、その日は終わりました。

神戸に帰り、仕事、家族の承諾を得て、3月から東京での新生活が始まりました。

 

分からない事だらけの中、朝から晩まで文書を持って省内を走り回る毎日。

通勤になれる間もなく、東京の地下鉄が朝からよく止まるな!と思っていた矢先、あの3月20日 (月) がやってきたのです。

あの日、いつも通りに電車に乗っていると、”日比谷線、八丁堀駅にて只今運転を見合わせています” と車内アナウンス。

またか!と思い、霞が関までどのルートで行けばいいか考え、銀座で丸の内線に乗り換え、霞が関の駅へ。

そして朝は何事もなく、外務省本省へ入ったのです。

いつも通りに朝の仕事をこなし、電話の応対などに追われるうち、” 今日はご家族からの電話が多くない?” と、事務方のデスクでそんな会話が交わされる中、私にも電話が…。

姉からの電話、” 大丈夫?” ”大丈夫だけど、何?” と私。

その頃から、どうもおかしい?ということで、部屋のテレビをつけるように指示があり、見ると、霞が関の駅周辺が大変なことに…。

課内も騒然とする中、仕事は粛々と進み、その日は何事もなかったかのように終わったのです。

帰宅の途に就くと、当然のことながら霞が関の駅は使えないとのこと。

警備の警察官の方に、” 最寄りの駅はどこですか?” と尋ねるお上りさんぶりを発揮して、虎ノ門の駅から帰ったのです。

帰宅すると、神戸の家族は ” せっかく神戸の地震で助かった命なのに、サリンで命を落とした‥。” と心配していたそうです。

神戸の地震の時もそうですが、渦中の真只中にいると、情報がなく、周りがどうなっているのかは後で知ることになると痛感しました。

後に、私が乗ろうとしていた日比谷線の車両でサリンがまかれ、銀座の手前、八丁堀駅で運転見合わせとなったということ。

3か月のうちに、2度も命拾いしたのです。

 

3月11日は、東日本大震災から10年の月日が経ちました。

命あっての物種。

家族も友人も元気でいればこそ。

このコロナも用心して乗り切りましょう!

乗り切った先には、きっといいことが!!

 

東京での生活、良いこともたくさんありました。

それは、また次回に…。

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