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1995年1月17日回顧録(その後……)

担当コーチ
小林 富士

いい加減、しつこい!と言われそうですが…。

1996年、神戸の自宅再建に伴い、12月末で外務省の非常勤職員を辞することになりました。

送別会当日に、ペルー大使館占拠事件で、”急きょペルーに飛ぶことになったから今日は申し訳ないけど

送別会には行けません!”

と、残念なお知らせを頂いたりしたのも、外務省ならではの事情だと思い出されます。

 

1997年から神戸に戻った私は、本山インドアテニススクールでアルバイトコーチとして働く傍ら、

母校の甲南女子大学テニス部のコーチとして後輩の指導にも携わっていました。

比較的、時間の余裕がある中、外務省で仲良くしていただいていた方がロンドンの大使館勤務となり、

”夏休みにイギリスの湖水地方に旅行に行かない?” と、誘って頂いたので思い切って一人で行くことに

しました。

一人旅、それも海外旅行!なんて初めての経験です。緊張の中、ヒースロー空港まで迎えにきていただき、彼女の素敵なフラット(イギリスではアパートの事をこう呼ぶらしい)

に泊めていただき、次の日から1週間、夢のような湖水地方への旅行に出発したのです。

実は、当時それほど湖水地方のことを詳しく知らず、”ピーターラビットの里” くらいにしか考えていませんでした。

ワーズワースのこともあまり知らず、でも、いろいろなミニツアーに参加し、アッという間の1週間でした。

8月31日、彼女のフラットに戻り、翌朝、朝食の買い物に行って帰ってくると、新聞の一面に ” ダイアナ妃 ” の大きな写真が目に入りました。

テレビをつけると、パリでの事故の様子や、ダイアナ妃が亡くなられたようだという報道がされていました。

信じられない状況の中、残り1週間は午前中語学学校に通い、午後はバッキンガム宮殿前の花束の山を見に行ったり、ミュージカルを楽しんだりしながら2~3日を過ごすうちに、

どうも葬儀は9月6日(土) 、私の帰国する日!ということに決まったのです。

この状況に即座に反応してくださったのが、大使館の方々で、多分この日は交通規制がかかり、空港までの移動も大変だろうということで、

チケットを翌日に変更してくださったのです。

しかも、葬儀の当日、大使館の方のお家の二階から葬列を見送れるので ”二人でいらっしゃい! ” とお声をかけてくださったのです。

ダイアナ妃が亡くなった時、ロンドンに居合わせただけでなく、葬列を見送るという栄誉にあずかり、すっかり興奮してしまいました。

これもすべて、外務省でお世話になった賜物と感謝!の気持ちでいっぱいでした。

 

母とヨーロッパ旅行に行った時も、ウィーンで部屋のテレビを何気なくつけると、あのカラヤンのアップが!

そう、カラヤンが亡くなった時もオーストリアに居たのです…。

私が海外に行くと、何かが起こる?

コロナで当分は何も起こりそうにはありませんが…。

 

番外編まで、ながながとお付き合いいただいた方、ありがとうございました。

コロナももう少し!頑張りましょうネ!

 

 

 

 

 

 

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