22年前の出来事
- 担当コーチ
- 田中 知子
1995年1月17日未明 阪神・淡路大震災。
今年、成人になった若者たちもまた、『震災を知らない世代』である。
震災を経験した者にとっては、あの恐ろしい揺れと、その後の変わり果てた街の姿は
昨日のことのように記憶しているけれども、20年以上も前のことなのである。
当時、『成人の日』は、1月15日と決まっていて、その年は15日が日曜日だったので、
16日(月)は振替休日だった。
本山インドアテニススクールでは、いつものように月曜日の午後のレッスンを行っていた。
時間は定かではないが14時~16時ごろだったと思うが、レッスン中に揺れを感じた。
一緒にレッスンに入っていたコーチ(関東の出身)が、『あ、地震だ。関西でもあるんですね。』
と、話したのを記憶している。それほど、”関西で地震はめずらしい”と思われていた。
連休明けの17日(火)の未明、大きく地は揺るがされた。
本山インドアテニススクールの近辺は、被害が大きかった。
しかし、スクールの建物は頑丈だったので、近隣の方がロビーに避難してきていた。
テニスコートは、2面のコートいっぱいに、足の踏み場もないくらいにテニスボールが散乱していた。
天井に打ち上がって引っかかったボールが、地震でほとんど落ちてきたのだった。
本山インドアテニススクールの会員の方では、私の知る限りでは2名の方が亡くなられている。
震災後、建物の安全を確認して、4月からスクールは再開した。
今週のブログの担当者として、震災のことを書くことにしたのは、1995年と同じ1月17日が火曜日で
あったことと、何より震災を忘れてはいけないという思いに駆られたからである。